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主婦生活大満喫
2014 / 04 / 17 ( Thu )
さて。フリーランスになった私。それまで勤めていた会社から月7-8万の仕事はもらってました。子どもは小1と年中。私は34歳。どうしましょう。ダンナさんの扶養家族になって、このまま穏やかに母生活を満喫する道も、もちろんありでした。


実際、血中母性濃度が90%になってしまっていたので、子どもたちと離れるのはつらかった。幼稚園ママたちと遊ぶのもすっごく楽しかった。大学2年で違う道を歩み始めてしまった私は、ずっと友達がいなくて。というか所属場所がなくて。米国でも東京のベンチャーでも仙台での会社でも共通項のある人がいなかった。それが幼稚園では、ほぼ同じ世代か少し上のママさんばかりで、しかも子どもの話題ができるんです。子育てがようやく一段落して嬉しくて仕方ないのも一緒。しかも、ちょうど、ヨン様ブームが勃発してた頃。バブル世代ど真ん中のママさんが多かったので、遊び方も半端ない。週末、韓国行ってくるわ~なんて人もいたぐらい。楽しくて楽しくて。


私は、冬ソナなんか20回ぐらい観ました。セリフも韓国語で暗記しちゃったぐらい。外国語の習得って、たぶん頭の中に切り替えスイッチを作る作業が大変なだけで、それが出来てしまったら外国語を2つ覚えるのも3つ覚えるのも大して変わらない気がします。実際、私は、字幕付きの韓国語音声でドラマを観まくってたら、結構勝手に身につきました。ハングルは読めないけど。某俳優さんが軍隊に入るというので見送りに行くっていう韓国のワイドショーを観てたとき。

「チグム、キブ オットセヨ(今、気分は、どうですか)?」

とリポーターが俳優さんに話しかけるのが分かりました。字幕なかったけど。

文法が近いし、語彙も似てるっていうのもあるだろうけど。リスニングも慣れですね。あと。対象言語の文化に対して憧れがあれば、結構、簡単に習得できるもんです。さらに熱意があれば、がんがんいける。


だって。あるとき、幼稚園バスのバス停と同じ場所にインターナショナルスクールのバスも止まってた時期がありました。そこで毎朝見かけるお父さんと息子娘がどう観ても韓国の人。「アッパ(パパ)」とか読んでるし。すると、韓国ドラマばっかり観てた私はガマンできません。いきなり、話しかけました。

「チョ、ホクシ・・・ハングクサラミエヨ?マッチョ!イゴ ウンミョンイエヨ」

あの、ひょっとして、韓国の方ですか?ですよね!これ、運命ですよ。・・・突然、ハイテンションで主婦にナンパされたお父さん。どんだけびっくりしたことでしょう。彼の子どもたちも顔を見合わせて笑ってました。でも私の韓国語の語彙は恋愛オンリーなので仕方ないです。


その家族は、お父さんが2年間、大学に研究に来ていました。お母さんは引っ込み思案で1年近く経ったところだったけれど、友達もゼロで家族以外誰とも口をきいてなくて韓国に帰りたいと毎日毎日愚痴をこぼしているときでした。そんなのもったいない!ぜひお友達になってくださいよ。


そこで。もう1人の韓流ママ友と3人で毎週火曜に私のマンションでお勉強会をしていました。といっても日本語を私たちが教えることはほとんど無く。私たちがひたすら韓国語を教えてもらって、韓国芸能事情ばかり話してました。中でも、どのドラマにも出てくる某名脇役女優さんが一緒のマンションに住んでたという話しを聞いたときには、2人して「きゃ~!すごい。うらやましいッッ」と雄叫び。目がハートです。

李さん(奥さん)は、最初日本に来たばかりのとき、留学生の家族をサポートするボランティアの人たちに少しお世話をしていただいたのですが、イマイチだったそうです。ところが私たちは、上から目線や見下し感なんてゼロ。ひたすら「カルチョジュセヨ(教えてくださいよ)」モードです。最後、赴任が終わって韓国に帰ることになったとき。私たちに会うまで日本も日本人も大嫌いだった。すごく楽しかった、と言ってくれました。草の根交流バンザイ。おっしゃーとガッツポーズしました。
10 : 31 : 21 | 主婦バンザイ! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
4歳と2歳で会社勤め
2014 / 04 / 17 ( Thu )
そんな生活が、しばらく続きましたが、ユウイチ4歳、コウ2歳のときに、運命的と思えるぐらいぴったりの会社が見つかりました。自宅からクルマで30分以内。仕事内容も、私の専門性を十分に活かせる上に、キャリア的に今まで足りなかった部分を補えるまたとないチャンスです。ITバブルが崩壊しフリーランスでは厳しくなっていたのもあって、在宅翻訳者生活にあっさり見切りを付けました。


さて。そうなると送り迎えが大変です。今では子どもが小さいと時短勤務というものがあるようですが、当時は、そんなのありません。普通に9時出社&17時退社でした。保育園は最長19時まで預かってもらえるので、本来ならば楽勝のはずです。ところが。入社と同時期に、*すばらしい*幼稚園を見つけてしまったのです。一度、覗いてしまったが最後。何が何でも入園させたくなりました。常に見切り発車な私は、もう我慢できません。通常の園が終わってからも、18時まで預かってくれるというので、速攻で入園手続きを済ませてしまいました。


いよいよ本物のワーキングマザー生活開始です。前の晩は緊張して、一睡もできなかった。そもそも、それまで5年間ぐらいダンナさん以外の男の人と口をきいたことがなかったので、会社の男の人たちと、どういう風に接すれば良いか分からなかったし。主婦&母以外の女の人とも話したこと無かったし。若い女子たちにも免疫ないし。その上、明日からは朝6時に起きて、ご飯を食べさせて、7時半に家を出発して、なんてことを考えてたら余計に眠れなくなってしまって。初日は、出社した時点で、もうヘロヘロでした。


朝は、8時に幼稚園バスがお迎えに。これはダンナさんにお願いしました。でも出張のことも多いので、そのときは私。バスでお見送りしたら、次はコウ。保育園へ連れて行って、そのまま出社。いつも9時ギリギリ。出社した時点で今日の仕事の半分は終了、というような気分です。帰りも同じ。17時に退社したら、まず幼稚園にお迎えに行き、それから保育園へ。18時を過ぎると延長料金がかかるので、なんとしてでも18時までにお迎えに行かないといけません。でも。そういう母の気持ちをわざと逆なでするかのように、ユウイチってば、さっさと帰る準備をしてくれない。預かり保育のお部屋から駐車場までが遠いものだから、途中で滑り台に乗ってみたり、ブランコに飛びついてみたり。あんた、わざとやってんの??さっさとしなさいよぉ。保育園に間に合わないでしょッッ!キーッッってなもんです。結局、コウのお迎えもギリギリ18時。


家に着くと、もう疲れ切っていて。それでも、子供たちには栄養バランスの取れた食事だけは取らせないと。そこは譲れません。相変わらずワンパターンで一品や二品しかないお夕飯だけど、オーガニックでお野菜たっぷりっていうのは死守。そんなことをやっているから、自分のことは後回し。食べる気力も無くて。朝も夜も、ろくに食べない生活がしばらく続きました。おかげで、夢の40キロ台でした。ほんと今となっては・・・(遠い目)。


仕事自体は、空気読めなくてとまどったことも地雷ふんだことも多々ありましたが、だいたい楽しくやれました。ただ、17時退社では仕事が終わらないので、パソコンを持ち帰って明け方まで仕事したことも何度も。徹夜で仕事というのはフリーランスあがりなので抵抗ないのですが、そこまで仕事しているということが上司1人にしか伝わらなくて同僚たちには分かってもらえなかったのが哀しかった。家で仕事しても残業代はつかないから、ふつうしないですよね。当時、社内には小さな子どもを2人も預けて仕事しているのは私1人だったから、仕方なかったなあ、と今になって思います。


子供たちは、熱を出すこともなく元気にそれぞれ通ってくれました。コウなんか、会社勤めが決まったとたん、水疱瘡になってくれて大助かり。入社まで3週間ぐらいあったので、その間に完治しました。会社に入った途端、子どもの病気で1週間お休みなんて、考えただけでぞっとします。


[会社勤めに挫折]

最初の壁は、予想していた子どもの病気ではなく、仕事の都合でもなく、意外なことにお天気でした。ユウイチが年少さんのときです。ある冬の日、異常気象で突然の大雪が降りました。いつもの通り、ダンナさんがユウイチを幼稚園のバス停まで連れて行き、私はコウを保育園に預けて出勤する途中でした。


大雪でスリップしまくり。道路は機能を失ってます。コウを保育園へ送り届けるのも大変だったけど、問題は、その後。会社に向かうものの、大雪で交通がマヒしていて渋滞したまま一向に前のクルマが動きません。こっちは下り坂の途中でストップしたまま。いつスリップするか冷や冷やしつつ、いつもなら5分の距離に30分以上かかってます。どうしよう。会社に間に合わない。


そう焦っていたら、ダンナさんから携帯に電話が。もう30分以上、バス停で待っているけどバスが来ない。でも自分も出勤しないといけないから、これ以上待てない。もう行くというのです。え~!!今まで、ず~っと待ってたの?寒いのに。2人で凍えてたの?そしてバス来ないの?その時点で、私は、家から2キロほどの地点にいたので、いつもなら5分とかからず帰れる距離です。なので、うん分かった、すぐに向かうから大丈夫と携帯を切ります。


でも。下り坂の途中にいるんです。Uターンしようにも、この大雪では危険です。エンストしたクルマも見えます。こんな状態でハンドル切って坂を登っていくのは怖すぎる。だから、次の信号で左折して戻るしかない。でもクルマは動かない。ダンナさんと話していた時点では、何人かいる同じマンションのママ友に連絡して捕獲しておいてもらうから&ユウイチは1人でマンションのロビーに待たせておくことにしていました。でも。全員に電話しましたが、誰も出ない。一番動いてもらえそうな人の留守電に切羽詰まった声でメッセージを残しておきましたが、その後、何度電話しても出てくれない。当時は携帯電話の普及率も今ほどじゃなくて持っていない人もいました。彼女は持っていなかったので家への留守電だったんです。後で聞いたら、やはり大雪でごダンナさんを送るために出動していたとか。他の人たちも、きっとそうだったのでしょう。


大雪の中、渋滞で動かないクルマの中で。何度も信号が変わるのを見ながら。私は後悔してました。たった4歳の子がこんなに寒い中、1人でロビーで待ってるなんて。私はなんてひどいことをしてるんだろう。今まで1人っきりにしたことなんて一度もなかったのに。今この瞬間、どんな思いでいるんだろう。どんなに寂しくて、どんなに心細いだろう。身体も冷え切っているだろうに。泣いてるんだろうか。トイレに行きたくなってないだろうか。と、考え出したら不安で。私は、クルマの中で涙が止まりませんでした。


それから、約30分後。ようやく家に帰れました。震える手でクルマを停め、慌ててロビーに行くと。ユウイチは、いました。1人で。ぼーっと立っていました。泣いてませんでした。身体のどこにも異常はありません。おびえてもいませんでした。というより、私の剣幕に若干びびってたかも。ごめんね、ごめんね、と涙声で叫びながら、ぎゅーっと思い切り抱きしめていました。


その日は、その時点でもう10時近かったこともあり、会社はお休みしようと思いました。ユウイチに会うまでは。でも。しばらくしてなんとか幼稚園のバスがやってくると当然のようにユウイチが乗り込んでしまったので、私も遅れて出社しました。留守電を残しておいた友達にも無事に会えた旨を伝えて、ダンナさんにも連絡して、一安心。でも、このとき、会社勤めのリスクの高さを思い知りました。この程度で、うろたえるなんて、私にはムリだと思ったんです。


とは言っても、せっかくつかんだ正社員の座。半年足らずで手放すには、もったいなさすぎ。それに、社会人として、それは間違ってると思いました。2人以上の小さな子どもを抱えた母は、社内で私1人というのもプレッシャーで。後に続く人たちのことを考えたら、へたな前例を作ってはいけません。それに、その後は、子供たちの急な発熱なんてこともなく、滞りない毎日が無事に過ぎるように。仕事も慣れてきて、そこそこにこなせるようになってきました。2年目ぐらいにはコウが幼稚園にあがり、お迎えが1か所になって時間的にずいぶんラクになりました。


だから、あと少し。子供たちが小学校に上がれば、存分に仕事できる。だいたい、なんでもこなせるようになるだろうから、と明るい期待を抱きながら無難な毎日を送っていた頃、私の脚に異変が起きました。ユウイチが年長、コウが年少ぐらいのときです。両脚に、しびれがあり、発疹のようなものができたんです。私は皮膚がとても弱い人なので、なにかにかぶれたかな、ぐらいに思っていたのですが、一向に収まる気配がありません。痛みまで伴います。ダンナさんが大げさに心配するので、病院に行ってみたら、帯状疱疹と診断されました。


理由は、はっきりしないけれど、原因の1つにストレスがあると言います。そのときは、「へ?ストレス?そんなの無いよ。だって仕事も普通だし、子供たちも元気に幼稚園通ってるし。」と、まったく思い当たりませんでした。でも。仕事を辞めてから、帯状疱疹の症状は一切出ていません。となると、やっぱりあのときは、それなりにストレスがあったんだなと思います。


たぶん。仕事に慣れてきた頃だったので、この先ずっと今の会社にいたと想定した場合の自分のビジョンが見えなかったり。正社員だったけれど地方都市の給与水準だったので、フリーランスの翻訳単価と比べると見劣りを感じてしまったり。幼稚園ママさんたちの華やかな活動が羨ましかったり。そういったことが、自分が自覚している以上に大きかったのかな。。。


そうこうするうちに、ユウイチが小学校にあがり、放課後は学童へ行くことになりました。そこでまた、壁が出現です。幼稚園の延長保育は、高額だったけどケアは手厚く、自分の大事な大事な子供たちをお願いしても安心できる環境でした。が。学童では、そうはいきません。しかも4年生以降は学童は無し。人数が多いところでは、3年生からムリ。だから夏休みは1人ぼっちで家でお昼ご飯を食べるはめになるなんて話もきき、不安倍増です。


それと前後して、仕事の方でも行き詰まっていたので、とうとう自爆。結果として、正社員として社内に残るのではなく、外注業者としてフリーランスで翻訳を請け負うことになりました。入社して4年目に突入してました。
10 : 29 : 33 | 会社員生活! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
赤ん坊と仕事再開して自爆
2014 / 04 / 17 ( Thu )
ユウイチを妊娠して7か月目の頃、初めて大きな翻訳の仕事が入ってきました。順調にリピートオーダーをいただき、いけるかも?と思ったところで、出産。タイムアップ。なので色気があって。生後3か月か4か月ぐらいのときにお仕事を再開しました。当時は、まだ首が据わったばかり。基本的に寝てばっかりなので楽勝。右手で抱っこしてオッパイ攻撃しながら左手一本でキーボードを打ち、途中で逆にして今度は右手一本で訳文を打ち込む生活。作業量を抑え気味にお願いしていたこともあり、問題無く引き続きお仕事をいただけました。


そうして2か月ぐらいたった頃。目先のお金に目がくらみ、今までより多めにお仕事を受注。それなのに、5か月の終わりぐらいからハイハイを覚えてしまったユウイチ。椅子や毛布でバリケードを築こうが、両脚で羽交い締めにしようが、怪獣なユウイチはゴジラのように奇声を上げて辺り一面破壊しまくりです。追いかけて元の位置に戻しバリケードも構築し直して、さあてと仕事に取り掛かると、またほんの数秒で木っ端みじん。結局、追いかけ回してるうちに疲れてしまい、ユウイチがお昼寝し始めると私も一緒にお昼寝してしまいました。駆け出しで、翻訳のノウハウも何にも無い素人状態だった私は、普通の3倍も4倍も時間をかけて取り組まなければいけないのに。普通よりずーっと少ない時間で仕事を「やっつけて」、納品してしまい。案の定、クライアントさんからクレームが来て、結局、プロジェクトの途中だったのに、そのお仕事から降ろされてしまいました。


自業自得なんだけど。恥ずかしくて。情けなくて。申し訳なくて。10年以上たった今でも、思い出すだけで胸が痛くなります。両手を顔で覆って叫びたいぐらい。それ以降は、お仕事も来なくなり強制的にそのまま開店休業状態。当たり前です。反省して、4月まで半年ほど育児に専念し、4月に保育園へ預けてから出直しとなりました。

[生後11か月半で仕事リスタート]

ユウイチは4月生まれなので、4月に保育園に入園した時点では11か月半。保育園初日は、不安や寂しさより嬉しさ全開。だって、ようやく人間らしい生活が手に入るんですから!罪悪感は、無理矢理打ち消していました。だって、9時から16時までだもん。しかも、そのうち2時間はお昼寝してるんだから。悪い母じゃないはず、と言い聞かせてました。最初のうちは週に3回ぐらいしか預けてなかったかもしれません。仕事もぽつぽつ入るようになり、わりと順調でした。その後は、無理をせず、そのときの自分にできる精一杯の品質で誠実にお仕事をしました。しばらくすると、コウを妊娠。今度は、出産後はしっかり休業し、コウが10か月で保育園に入るまで、お仕事は控えました。


[3歳と1歳で自宅勤務再開]


コウが10か月になったとき、仕事を再開。といっても、在宅翻訳ですから仕事量は調節できます。朝9時に子供たちを保育園へ。歩けば5分。でも、ベビーカーとおんぶで行くから片道15分。当時は、B型といわれていた簡易式のベビーカーにユウイチを座らせ、取っ手にその日の荷物をぶらさげて、コウは、おんぶ。当時はスリングなんてしゃれたものもなく、1人目の時は前抱っこしてましたが、2人目になると髪振り乱しでやりたい放題。


リュックサックのように背負う抱っこひもは外出用。普段使いは、昔ながらのバッテン式です。バッテン式は、身体に密着するので本人も心地よさそうだし安いし洗えるし軽いし。ほんと便利。冬は、その上からママコート。とはいうものの、そんなにしゃれたものじゃなくて、全身を覆ってるだけ。在宅仕事なので顔はすっぴん。メガネ。でもメガネは、すぐにずり落ちてくる。だけどベビーカー押してるからメガネを直す余裕もなし。髪もぼさぼさ。メガネは鼻の下の方にずり落ちて息苦しいまま。冬なんか雪が降ってくるから、途中でユウイチのお膝にかけてたブランケットを何度も直し。ああ、もう誰も知り合いに会いませんようにって世界でした。


到着すると9時半。他の子たちは、7時や8時から来ているので、すぐに軽食の時間です。3歳児が10人並んで、おやつ食べる姿って、それはもうかわいくて。うふふと思いつつ罪悪感にさいなまれながら帰ってきて仕事です。家に1人で帰ってきてコーヒー飲んだときのシアワセと言ったら!あー充実してるわ~。人間だわ、わたし~!っていう開放感。とは言うものの、コーヒーのために保育園へ預けているわけではないので早速、お仕事開始。集中して仕事を片付けます。お昼も、片手で食べられるもの。罪悪感があるので、子供たちを預けている間は、家事はしません。ふっと一息つくと、もう15時。すると、そわそわ、そわそわ。落ち着きません。毎日、13時から15時までがお昼寝のお時間。15時半になると、そろそろ起きたかなあ。かわいい寝ぼけ眼のお顔を見たいなあ。うーんって、伸びしてるのかなあ。と仕事も手に付かなくなっちゃいます。


で。我慢しきれず16時には、お迎えへ。すると。コウは、は!と私に気づいた途端、トコトコトコと両手を広げて近づいてきます。愛する人との再会!です。ぶちゅーと、鼻水だらけの牛乳臭いお口でチュー!母は、会いたかったよう~と、愛しい我が子を抱きしめほおずりし鼻水を拭いてあげます。だけどユウイチは。嬉しそうに最初は近寄ってくるけど、お昼寝の後はおやつを食べたら、楽しい外遊びの時間なので。あっという間に逃げられ。。。母は、軽く傷ついちゃいます。


16時過ぎには保育園を出発。でも、家に着くのは、だいたい18時ぐらい。朝と違って早く家に帰っても仕事ができるわけでもなく、家が荒らされるだけなので、外遊びしながら帰ります。道中は、今までと同じ。大人が歩けば5分の距離を、3歩進んで5歩下がる。道路の脇にあるムシに気を取られ、ありんこにも看板にも、挨拶する。マンションの工事現場の横を通れば、「あっっ!」とクレーン車を指さして立ち尽くす。ユウイチはクレーン車に見とれても、1歳のコウには関係ない。コウは、どこか別の場所に気が向いてます。それで諦めて3人で児童館へ行くと、学童の小学生たちがホールを占領してる。なので結局、公園へ。公園の中を縦横無尽に2人がそれぞれ行きたい方へ歩きまくり。寒い土地なので、雪の中、そういう活動をすることも多く。雪が降っても、雪が降って凍っても、雨が降っても、子供たちは鼻水垂らしながら、ほっぺを赤くしながら熱心に野外活動に取り組んでました。


さて。ようやく帰ってきたら、メールのチェック。でも一瞬の気も許せないので、さっとチェックするだけ。お夕飯を食べさせて、お風呂に入って、あとは、ひたすら寝る時間になるのを恋い焦がれて待つだけ。


お夕飯は、このときも、やっぱり手抜き。栄養バランスは多分OKだけど品数少なし。あるときは、茹でたアスパラ。味噌汁。具は、ナスとかジャガイモとか。白米。メインは、鮭のソテー。以上。海苔巻いて食べさせてた気も。味噌汁は、イリコだしで。イリコを買ってきて、ガーして粉末にしておき、使うときにお湯にパラパラするだけです。


20時半ぐらいになると、さあていよいよ寝かせよう。おもちゃもお片付けしてね。と臨戦態勢に入ります。お布団を並べて、添い寝です。ひくーい、穏やかな声でユウイチの背中をとんとんしながら、「むかーしむかしねえ」と適当にお話しして、わざとらしく私が途中で大あくび。するとユウイチもつられて大あくび。その顔のかわいいこと~。そして、そのまま寝ちゃいます。寝付いたのを確認すると、よっしゃと小さくガッツポーズ。今日も勝ったぞって気分。次はコウ。こっちも同じように。コウの方が寝付きが良いので、楽勝な方は後回し。今日も、あっさり寝てくれたわ♪と、ほくそえみながら抜き足差し差し足。部屋を出て行こうとしたら、、「おかあ、、、」とユウイチが寝ぼけ眼でお布団から手を伸ばしてたり。う~、お母さんはお仕事しないといけないんですけど!といいつつ、胸がキュンとして頭なでなでしちゃってました。


ちなみに、この頃、本を5冊ほど出しました。プログラミング言語の解説書です。プログラミングは基礎知識はあるけど、実際にプログラムは書いたことなかった。なので、ちょっと勉強してみようかな、と思って、MySQLというプログラミング言語のメーリングリストに入ってみました。全然分からないので普段はROM(読んでるだけ)でしたが、翻訳関係の話が出てくると、マニュアルではこういうスタイルガイドがあって、こういう書き方してますよ、みたいなことを発言しました。そのとき、最後に、自分の名前の他、フリーランス翻訳者という肩書きとホームページのURLも。当時、プロバイダのサービスを使ってホームページを作るのが主流でしたが、OCNから借り受けて自分のドメインを作ることも可能でした。お金が年間2万ぐらいかかるけど&印鑑証明をとらないといけなかったけど、面白そうだったので、わざわざ印鑑登録して証明書を取って、www.terada.netというドメインで自分のホームページを出していました。中身は、単なる経歴書だったけど。

で。たぶん、それを見てくれたんだと思いますが、そのメーリングリストの中の1人の方がMySQLの本を訳すことになったとき、私を推薦してくださったんです。全然面識ないのに。1冊目がそのような感じ。するとリピートオーダーが3冊ぐらいいただけて。そうしたら、その本を見た別の出版社の方が声をかけてくださってさらに2冊させていただきました。でも。。。本よりマニュアルの方がお金になります。きっぱり言いますが。それに自分の能力のなさも感じていたので5冊で終わりとなりました。
10 : 27 : 50 | 仕事復帰? | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
血中母性濃度60%
2014 / 04 / 17 ( Thu )
5か月半で果汁をスタートし、6か月で離乳食も開始。赤ん坊も寝返りしたりハイハイしたり。とうとう退屈だなんて言ってられない状態に。私の予想(期待)していた戦闘が半年遅れで始まりました。


離乳食は、出産前に育児百科などを読みあさってみましたが、レシピはなに一つも実践しなかった。だって、お料理好きじゃないんです。おかゆを卒業したら、あとはひたすら猫まんま。栄養満点だけど、ひたすらワンパターン。椎茸、人参、小松菜、なんかをみじん切り。煮干しをカッターでガーして粉末にしたものをまぜて、醤油味。あとは、お米を入れてぐつぐつするだけ。


最初の食事が肝心だ。一生の味覚がこのときに形成されるから。なんて(本に)脅されましたが。いいんです。味覚が優れてしまうと逆に大変ですから。我が家はたぶん一生、一般家庭なので。美味は知らなくてもかまわない。ただ、お野菜はオーガニックオンリーでした。

[怪獣スタートの6か月以降]


ハイハイを始めたのは6か月か7か月ぐらい。この頃になると、もうかなり可愛くて。居間でダンナさんと私がくつろいでいると、隣から、バッタバッタという音が聞こえます。寝ていたはずのユウイチが起きたみたい。ハイハイするのに、手をいちいち一番上まで振り上げてから降ろすものだから、一歩一歩ならぬ一手一手でバッタバッタと音がする!思わず、「来たっ!」と、ほくそ笑むダンナさんと私。音のする方を見やると、ふすまの陰から手が、、。そして次に本体(ユウイチ)が登場。無表情にこちらを見る顔の無垢なこと。その姿を見ているだけで笑いがこみ上げてきて、ダンナさんと2人してゲラゲラ笑っちゃいました。


とはいっても。この時期の彼を英語で表現するなら、プロフェッショナル・デストロイヤー。プロの破壊屋です。自分の行く手を阻むものは片っ端から破壊しまくり。なぎ倒し、舐めまくり。引き出しがあれば全部、引き出し、目の前にぶら下がっている物があれば全部引っ張ります。かと思うと、ドアにつかまり立ちしたまま動きがストップ。おや、と思うと、顔が軽く紅潮し、うんうんうなりだし、、。そして1分後には、ほっとした表情に。おむつを覗いてみると、とれたてのホカホカが!一部始終を観察してると、もうおかしくておかしくて。今、どこらへんまで進んだかまで分かるんですから。


3人でお好み焼きを食べに行ったときは、座敷の入り口においてあるスリッパを片っ端から舐めまくりました。どれだけ止めさせようとしても無理。知らない場所に来たときは、必ずひっくり返して舐めないと安心できないらしく。まるで、電信柱にオシッコかける犬のよう。ヨダレを垂らしながら四つん這いで徘徊しまくる様子は、人間というよりは完全に動物です。


ご飯を食べるときは、もう戦争。お膝に乗せて食べさせるのだけど、本人の後ろからスプーンを回して口に持って行くので、タイミングを間違えるとスプーンの中身が飛び散ってしまいます。なにしろ、じっとしてないので!右を向いたり左を向いたり、手をばんばんテーブルにたたきつけたり。椅子に座らせても同じ。野菜ジュースを飲ませているときは、もう緊張。手で払われたら本人の服も私の服も床もテーブルも絨毯も取り返しの付かないことになってしまうんですから。この頃からは、怪獣が起きている間は、背中にも目が着いているぐらいの勢いで全身の神経をフル回転させてました。


[怪獣と飛行機に乗る]

ダンナさんの実家は九州。私は名古屋。住んでいるのは東北。赤ん坊の頃から何度も飛行機に乗りました。これが、もうサイアク。どれだけ周りに迷惑をかければ気が済むんだ、と気が気じゃありません。楽勝じゃん。と威張っていられたのは、半年ぐらいまで。ハイハイしだしたら最後、もう戦争です。うちのボーズたちは2人とも泣きわめくタイプでは無くて、とっても静か。しゃべらないけど、片時もじっとしていないタイプの怪獣でした。特にうちのユウイチはひどく、じっとしていられないんです。7か月ぐらいになったとき。


飛行機の座席に座ったら、その瞬間で、もうアウト。私の膝の上でたっちしてジャンプして、座ってくれません。何度押しつけてもムリ。しまいに、たっちすると頭上の荷物入れケースに届きそうになることを発見してしまいました。そうなったら、もう気になってしかたありません。おまけに送風口からの風が彼の顔にあたるものだから。「うーん、うーん」と言いながら背伸びして手を伸ばします。不思議な現象の正体を見極めたいとでも思っているんでしょうか。かと思えば、後ろの席の人たちが目についてしまいます。私を踏み台にして私を乗り越え、後ろの席へ飛び込もうとトライし始めます。


搭乗してから実際に離陸するまで15分か20分ぐらいはあると思いますが、その間、何度、客室乗務員のお姉さんに注意されたことか。最初は、にっこり。「お客様、お子様もシートベルトをお締めくださいますでしょうか?」なんて優雅におっしゃってたのに。3回目4回目と戻ってくるたびに、こめかみのあたりがピキピキしていくのが分かります。はい、申し訳ございません。彼は、まだ人間ではないので、人間の話す言語は通じないんです。彼が理解できるのはオッパイと抱っこだけ。本当に離陸する直前になったらオッパイ攻撃をしかけますが、それも長くは持ちません。だからギリギリにならないとこの作戦は使えないんです。ごめんなさい。。。


うちのボーズたちは2人とも10か月で歩き始めましたから、1歳を過ぎる頃になったら、もっと大変。片時も、本当に片時もじっとしていないのです。離陸直前にオッパイもしくはジュースで攻撃する作戦は相変わらず有効でしたが、今度は通路を歩き回る!とにかく歩く。泣かずに歩く。だまって歩く。止まらない。トイレなど正当な理由があって通路を移動している方たちには迷惑千万。甘やかすな&ちゃんと、しつけろっ!という心の声がビンビン聞こえてきます。ああ、ほんとごめんなさい。その上。動物は音のする方に反応するものなので、客室乗務員さんたちの作業エリアが気になって仕方ありません。お姉さんたちが忙しく飲み物の準備をしている場所を小さいのがうろうろするんです。どれだけ邪魔なんでしょう。踏んづけそうになっちゃうぐらいだったでしょう。


そのたびに、いつものごとく最初はにっこり頭をなでなでしてくれたりなんかして。ほおら、ぼくはどれがいいかな~?なんておもちゃをくれたりもするんですが。おもちゃがおもちゃと理解できるためには、もう少し進化しなくてはなりません。一度なんか、お姉さんが、かがんでおもちゃをくれたとき、ライトの加減で、お姉さんが胸に付けている名札がキラリと光ったんです。そうしたら。ユウイチってば、無表情にお姉さんの名札をむんずとわしづかみ。ついでに、胸までばっちりタッチ。みるみる赤面するお姉さん。。。ごめんなさい!


それだけじゃ、ありません。あるときは、乱気流だったこともありました。そうなると、お客様はお座席に着席してシートベルトをしなくてはなりません。トイレも禁止です。それなのに。ユウイチは、歩くことを止めてくれないんです。無理矢理、座らせると、今度は周りのお客様のお膝を攻めに入ります。私を上って後ろの席に行こうとします。お隣で何か食べていても新聞を読んでらっしゃっても、お構いなし。他のお客様の狭い膝と前のシートの間を何度も何度も行ったり来たりするんです。シートベルトで押さえつけようとしてもダメ。身体をよじってすり抜けて出て行ってしまいます。そこで通路や作業エリアをうろうろするユウイチの後ろを私がついていくと、客室乗務員さんからチェックが入ります。しまいに、まっすぐに立っていられないぐらい機体が斜めになっても、飲み物を配膳するためのカートが斜めになっても本人はお構いなし。とうとう客室乗務員さんから、「お客様ッッ!座っててくださいッッ。危ないですからっっ!!」とヒステリー丸出しに怒鳴られたこともありました。


さらに。これが2人になったときは、もっとサイアク。コウを里帰り出産して帰ってきたときは、ユウイチ2歳5か月。コウは1か月。首も据わらない、ふにゃふにゃのコウを抱えて、上のボーズはゴジラさながらに、あちこち破壊して回ります。さすがにこのときは、父か母についてきてもらったんだと思います。ただし、それ以降は全部私ひとり。コウの首が据わってからは、コウをおんぶしながら、怪獣を追いかけていました。



年末年始の季節になると、ツイッターなどで子連れで飛行機に乗るな、電車に乗るな、非常識だという強い声を見かけます。でも。お義父さんが早くに亡くなってしまって、一人寂しく鹿児島で暮らしているお母さんに孫の顔を見せてあげたかったんです。公共交通機関を使うなってことは、仙台から鹿児島までクルマで行けっていうことですか?仙台―鹿児島は直行便がないので、途中で乗り換えしないといけません。1回お母さんに顔を見せにいくだけで4回飛行機に乗るんです。


本当に本当に申し訳なかったと思ってます。でも。おかげで。車椅子のみなさんの不自由さも少し理解できるようになりました。電車の乗り降りやエスカレーターの有無で、どんなに必死にならないといけないのか。ベビーカーを押すようになって初めて気づいたこと、たくさんあります。自分は1人でも生きていけると、ずっと思ってきたけど、自分は本当にたくさんの人のおかげで今、元気に暮らしていられるんだ。自分は周りに迷惑をかけまくってきたんだ。と自覚することができ、子育てしていく中で、これまでとはまったく違った目線で社会全体を見ることができるようになりました。長々としつこく続いていた反抗期も妊娠した途端に、おしまいです。母に対して全面降伏です。本当にありがとう。お母さん、ここまで育ててくれて。結婚式のときは、まったくそんなこと思ってなかったけど。無事に生まれてこれただけで一生感謝しきれないぐらいの偉業を母は成し遂げているんです。
10 : 26 : 06 | 血中母性濃度60% | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
出産:血中濃度50%に
2014 / 04 / 17 ( Thu )
出産翌日は、赤ちゃんは別室で2日目からずっと一緒でした。初めは、どうしても違和感で。この赤ちゃんは、いつまで私と一緒にいるのかな、と、ちょっとお借りしてる気分。私のベッドの横にずっといられると気を遣うんですけど~。私がぐっすり寝られないんですけど~的な、、。だって、あなたの子どもでしょうと突っ込みを入れられそうですが、本当にそう思ったんです。血中母性濃度は、まだせいぜい50%ぐらいでしたから。


退院後3週間を実家で過ごし、それから家へ戻りました。飛行機で!出産後、初めての外出が飛行機です。数日前から軽く緊張し、当日は朝から大わらわ(実父も実母も!)。首も据わっていないふにゃふにゃのナメクジみたいなユウイチを両手でしっかり抱っこして出発です。私の進行方向の少し前を父や母が歩き、障害物が無いことを確かめ、クルマにのるときはドアを開ける人と赤ん坊を一時受け取る人に役割分担。私が無事に座ったら、赤ん坊を受け取り、ドアを閉めるのはジジかババ。もう大騒ぎ。


飛行機に乗るときも、客室乗務員のお姉さんたちが一番前の席を用意してくださって、何事もなく無事に。空港ではダンナさんが待っていて、さあ、いよいよ家族3人の生活です。


[産後うつ??]

とは言っても、実際の毎日は退屈で退屈で。まだ入院中は、沐浴指導があったり来客があったりと、それなりに過ぎていったけど、退院してからは、とにかく寝てるだけ。妊婦時代に通っていたマタニティヨガの先生が、


「出産で骨盤が開ききるから、その空いた部分に脂肪が溜まって大きなお尻になっちゃう。それを回避するには、せめて1週間はとにかく動かないこと。階段歩くなんてもってのほか」

と言ってたので、最初の3日ぐらいはトイレも我慢するぐらい歩かないようにしてました。その後も、基本は、お布団。後々のことを考えると、やっぱり寝て過ごすもののようだったので、おとなしく従いました。


幸いなことに、うちのボーズたちは夜泣きするタイプじゃありませんでした。だから一緒に寝てる私は、することがなくて。ときどき、ふにゃんと泣いたらオッパイかミルクをあげて、よしよししたら、また寝ちゃう。でも、そばにいないと何が起きるか分からない。万が一、ティッシュやお布団が顔にかかって、そのまま窒息死ってことも無いわけではないし。咳き込んで、どうにかなっちゃうかもしれないし。もちろんティッシュは遠ざけておいたけど、見張っていないと何が起きるか分からない。


家に帰ってきてからも、そう。さすがに寝て過ごすのも飽きたので、部屋に寝かせておいて家事をしてましたが、やっぱり見張ってないと。上の子は、静かな環境で胎児生活を送ったので、ほんの少しの物音でも起きちゃうんです。だから、テレビも点けず、しずか~に過ごしてました。


悟りでも開けそうなぐらい雑音の無い生活。真っ赤でふにゃふにゃの赤ん坊。サルというか宇宙人の子どもみたい。全然かわいくない。することが無いので、じ~っと赤ん坊を見ていても寝てるだけ。無反応。笑いもしない。時計を見ると、まだ朝の9時。何かしようかとも思うのだけど、赤ん坊に集中していなくちゃいけないような罪悪感があって、物音をたてることはできない。ビデオを撮ってみるけど、動きが無いのでつまんない。時計を見ると、まだ9時半。そうやって、一日中、赤ん坊と時計を見比べて、オッパイ/ミルクの時間になると、することができてほっとする毎日。ダンナさんは出張が多いので、赤ん坊と2人きりでそういうふうに1週間過ごすこともありました。


私は、いつも濃い1日を送ることを是として生きてきたので、ぼ~っっとする、ということが苦痛で苦痛で。すやすや気持ちよさそうに眠る寝顔をじ~っっと見ながら、「かわいくないなあ」なんて思ってみたり。いつまでこんな生活が続くのかなあ。母親になるってこういうことなのね。と諦めてみたり。1日に何回ため息をついたか分かりません。でも。オッパイを飲むときの顔は、さすがにかわいかった。目も見えないのに、本能でオッパイを探してちゅくちゅくする姿を見て、赤ん坊に対する嫌悪感を反省してました。


それに、ダンナさんとの温度差を強く感じてたのも、この頃。古い社宅なので、玄関のドアを開けるだけでギギギ-っとすごい音がします。トイレも流すと上の階から下の階まで筒抜け。お風呂もそう。そのたびに、赤ん坊がびくびくっとしたり。目が覚めちゃったり。

「なんで帰ってくるのッッ!」

「なんでトイレ行くのッッ!」

とか、そういうレベルでイラついてました。ストレスと言われたら、それまでなんだけど。でも、やっぱり違う。動物化してたのかな。オッパイあげてたし。本能で我が子以外は全部敵ぐらいな状態だったのかも。だけど、かわいいとは思えなかった。頭と身体が釣り合ってない感じ。そして、そんな自分をとても責めていました。


乳児と2歳児のいる知り合いのおうちでは、ある日パパさんがインフルエンザにかかって40度の熱を出したら。それを見た瞬間、ママさんはキレて荷物をまとめて子連れで実家に帰っちゃったそう。パパさんは放置。かわいそうに1人で1週間ぐらい寝たきりだったみたい。でも、すごいよく分かる。ほんと「せめて邪魔しないで」って世界です。



そんなある日曜日、テレビに誰だか忘れたけど女性の人が出てきて、育児や母性について語っていました。そして「母性は万能ではない」ということを繰り返しおっしゃってました。オッパイあげながら観てたので、「へえ~」と「ふ~ん」と「そうか~?」の入り交じった気持ちでした。でも頭から離れなくて。子どもの世話をしながら、何が「へえ」で何が「ふ~ん」で、どういう風に「そうか~?」なんだろうとずっと考えてました。それからしばらく忘れていたのだけど、だいぶ経ってから、突然「血中母性濃度」という言葉が閃きました。2人目が産まれて1人目の育児を追体験してたときです。


そっか、産んですぐって血中母性濃度50%ぐらいなんだ。それが分かってれば、あんなに鬱々しなくて済んだのに。赤ん坊かわいくないって思うのも普通の感情だったのに。ダンナさんを責めることもなかったのに。誰か教えてよ~!ほんと、そう思いました。はっきり言います。新米ママのみなさん、これからママになるみなさん、赤ん坊はかわいくないですよ。それ普通ですよ!
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