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はじめに
2014 / 04 / 17 ( Thu )
このブログは、偏差値38だった私が血中母性濃度80%翻訳者になるまでのお話しです。

私は、

痛いくらいに、おりこうな優等生だったのに大学受験に失敗し、

→いじけてた19歳のときに6つ年上のお兄さんに僕と結婚してアメリカ行こうと会って2週間で誘われ本気にしてOKし、

→大学卒業後すぐに渡米するも、現実は学生同士の極貧結婚で華やかなことは何もなく鬱々しつつ

→3年で帰国、東京のベンチャーに仕事が決まって、さあ人生リベンジだと張り切ってたら倒産し、

→失意の中、ダンナさまの転勤で仙台に引っ越し。フリーランス翻訳者としてやっていけそうと感触を掴んだとたんに出産。休業を余儀なくされ

→2人目が1歳になったときに、さあ仕事を本格再開!と張り切ってたらITバブルがはじけてフリーランスでは立ちゆかなくなり

→運良く近所にソフト会社が見つかって正社員で就職するも、子育てとの両立で自爆し

→あんまり好きじゃない翻訳者としてやり直すんなら中途半端なスキルじゃダメだと開き直って

→1日8時間2年間ひたすら英語を勉強し続けたら、なんとか翻訳者と自称できるぐらいには、なりました。

というお話しです。

ここの中で一番大事(押し)の部分が隠れ浪人時代。血中母性濃度が90%近くなっちゃって。しかも子どもたちが幼稚園年中から小3という、第2次かわいすぎる時代だったものだから。存分に母業も全力で取り組みました。


この「全力」というのが私の中ではキーワード。すごい厄介なんです。私は本当に不器用で。すべてのことに全力を投球してしまう。猪突猛進イノシシ年のなせる技でしょうか?(他のイノシシ年の人、ごめんなさい)。だいたい、これぐらいで。っていうことができない。がーっっっといくとこまで行ってしまってふと我に返り、疲れ果ててしまう(バカ)。


英語を勉強するぞと決めたら、夢でうなされるぐらい勉強するし。韓国ドラマにはまってるときは見ず知らずの韓国人のおじさんを道でナンパするし。上原ひろみちゃんに突進してるときは、彼女の曲を完全コピーするし。そのためにピアノ買うし。でも。努力してるとか頑張ってるとか、つらいとかムリしてるとかじゃないんです。ただ自分のエネルギーが抑えられない。いてもたってもいられないだけ。強欲なのかなあ。


なので。おっとりしてる人たちを見ると、上から目線とかじゃなくて純粋に羨ましいです。私も冷静な大人になりたかった・・・。でも残念なことに、私の特性はそっちじゃなかった。会社員とか組織で生きる人生は私には向いてなかった。


つい最近まで、私は今の環境は私にはふさわしくないと思ってました。私だってチャンスさえあれば、もっとできるはず。そもそも私に向いてるのは翻訳じゃなくて通訳のはず。こんな田舎じゃなくて都会で勝負できるはず。ダンナさんがもっと家事育児を手伝ってくれれば私だって出張できるのに。って。インターネットが普及してきて、東京のワーキングマザーさんたちが主流の会員制サイトなんかにアクセスすると、同世代の人たちが私と同じ小さな子どもたちがいるにも関わらず、夜遅くまで仕事したり母同士で飲み会したり。そんな生の声を目にするたびに心がざわざわしました。私だって、あっち側の人間になれるはずなのにって。


でも。あるとき気づきました。というか、実はずっと気づいてた事実たちを素直に認めました。ダンナさんには仕事を存分にがんばっててほしい。そして自分が子どもたちと離れたくない。長い時間を一緒に過ごしたい。休みの日は、母業全開でがっつり向き合いたい。


そもそも私は自力でアメリカ行ったわけじゃなくてオトコに乗っかっただけじゃん。自分で留学して留学先で知り合ったなら分かるけど。そうじゃないんだから最初から対等じゃないじゃん。「でも英語頑張ったのは私だもん!」と、ずっと言い張ってきたけど。そうじゃなくて。「ええ。私は、オトコを利用したわよ。したたかよ。それが何か?」と開き直ってみたら、一気に自分がラクになりました。それまで誰かにそう言われてたわけじゃないです。自分の内なる声に自分が縛られてただけなんです。


仕事のこともそう。翻訳は、好きでもキライでもないです。あんまり向いてる気はしません。最初はアナウンサーになりたくて大学では放送研究会に入ってたしアナウンサー養成学校に通ってたぐらい。だから外向きだと思います。いくら技術系しか翻訳しないと言っても小説読むの好きじゃないっていう事実は、いかがなもんでしょうか?っていう根本的疑問もあり。子どもの頃や高校生ぐらいまでは名作ものは一通り洋の東西を問わず読みましたが。今では実用書オンリー。歴史とか経済とか。そんなんばっかり。


ただ。今の私の現状を棚卸ししていくと消去法で残るのは、やっぱり翻訳。なにしろ家にいられるので。母業を全力投球できる。そうか今までやってきたことが全部活かせるのはこれしかないのね。だったら。全力で取り組もう。好きとかキライとかじゃなく。仕事なんだから。精一杯の誠意で取り組もう。目の前にお仕事があることに感謝して。一つ一つの案件に真摯に取り組もう。


そう思って現在に至ります。そして今、翻訳はキライと思ってたけど実はフリーランスのしんどさがイヤだっただけかも、と思うときがあります。地味な作業も同僚のいない孤独も実はそんなに苦痛じゃないかも。それより、会社で理不尽な要求や展開に「ま。いっか」と受け流すスキルの方が私にはきっとハードルが高い。「適当に」ができない人なので。仕事って好き嫌いだけで選べるモノじゃない。とりあえず目の前のことを精一杯頑張ってたら道は開ける。そんな気がします。あ。頑張らないのも、もちろんOK。ただ私は頑張らずにはいられない人なので、このブログはそのセンで展開しますが。

なお、もともと、このブログは、キンドルの書籍のために書いた、というか本家のブログをまとめたものです。

それは、震災本"The 3/11 Disaster In Miyagi, Japan:True Stories of Japanese and Americans From the Earthquake and Tsunami"をキンドルで出そうと決めたときに、本当に自分でセルフパブリッシングできるのかどうかを確認する必要があったから、とりあえず出してみました。

でも、そうは言っても書き始めたら本気になってしまい。

だけどちっとも売れてないので。

ま。売ろうとも思ってなかったし。

だけどせっかく書いたし。

ということで、ここにまとめて公開することにしました。

というか、キンドル本よりさらに内容が充実しています(笑)


なお、ブログなので読む順番が上下逆になっています。

カテゴリは上から時系列に並んでいるので、上のカテゴリから順にお読みください。
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15 : 54 : 52 | はじめに | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
たくさん勉強して翻訳者に
2014 / 04 / 17 ( Thu )
よし勉強しようと思ったとき、まず、ブログを開設しました。タイトルは、ずばり「目指せ!翻訳でミリオネーゼ」です。当時は、ミリオネーゼという言葉が一瞬流行ってました。ミリオンとは100万円なので年収100万ってこと?と一瞬思いがちですが。私の中では月収100万を目指すことにしました。


誰かに読んでもらうことは、まったく想定していません。ひたすら、自分を励ますだけです。毎日何を勉強したか淡々と記録するだけ。だけどタイトルも過激なら中身も過激。というか強気。当時のブログ(2005年~2006年頃)はひたすらガツガツ勉強してます。翻訳「なんか」勉強するだけ。2年間毎日8時間勉強すれば誰だって月収100万稼げるようになるに決まってる。だから後から威張れるように今のうちから証拠を残しておくために記録のブログを付けてるっていうモード全開です。


実際、本当によく勉強しました。朝は5時半に起きて、1時間ほど勉強。子どもたちが幼稚園&小学校に行ってしまったら、お皿も洗わず洗濯もせずにお勉強です。イギリスの週刊誌『The Economist』を毎週全部読んでたので、この記事を読んだらお皿を洗おう、とか、このページまで行ったらお洗濯しようとか決めてました。洗濯は午前中に終わらないといけないので、集中して読まないといけません。夕方3時や4時に子どもたちが帰ってきたら、子どもたちと外に遊びに行ったりして夜9時に寝かせてからは、またお勉強。お昼ご飯も片手で食べてました。


その他には、今後は金融翻訳にシフトしようとそのときは思っていたので、証券会社の金融レポートを写経しました。某証券会社に少しお金を入れて会員(?)になると、日本語で書かれたレポートをダウンロードできました。その英訳も2-3日遅れで入手できました。レポートは短くて700文字、長くて1000文字ぐらい。それを日本語を見て自分で英語に訳してみて、1行ごとに答え合わせ。あーダメだ、と思って凹み、答えの英語を覚えてからワードファイルにタイプしました。書き写すのではなく、英文を覚えて、日本語を見ながら書くのです。同じレポートを3日間やったら次のレポート。1回覚えただけでは忘れてしまいますから。


英単語も覚え直しました。日本で必要と言われている英単語と違って本場で頻度が高い単語を覚えたいと思ったら「Barron’s 1100 words you need to know(http://www.amazon.co.jp/dp/0764138642)」だと教えてくださる方がいて。これをしっかり毎日少しずつ記憶しました。覚えたからって、何か資格を得られるわけじゃなかったけど。良いと言われるものはなんでもやってみようと思って。実際、日本語の英語教育本では目にしない単語が多かったです。軍事関係。アメリカはこんなにもいろいろな種類の軍事用語があるんだ。軍隊は1つじゃなくて、Army(陸軍)とNavy(海軍)とMarines(海兵隊)と米軍(the U.S. Forces)と盛りだくさん。日本語だと「軍」に陸や海や空を付けて終わりなのに。


英検1級もこのとき、受けました。結婚直前に準1級を受けたっきり。妊娠中にも勉強しましたが、あっさり挫折。でも今回は違います。もう自分には後がない。結局自分にできるのは翻訳だけなんだ、ぐらいの気持ちなので。1級ぐらいとれなくてどうする。とってから「英検1級なんていらない」って言えばいいんじゃん。その方がかっこいいじゃん、と言い聞かせました。


最近では、iPhoneやiPadのアプリが充実していて単語も楽しく簡単に覚えられますが、この頃は、まだ携帯前夜。旺文社の「出る単熟語」を買ってきて地味に1ページずつ覚えていきました。家でもどこでも。美容院でも。ところかまわず。今日は10ページ覚える、と決めたら必ず10ページ。ふと気を許すとすぐに他のことを考えてしまう自分の集中力のなさにうんざりしながら。何度も何度も繰り返しました。


おかげで夢にも出てきました。朝ご飯作ってるときも子どもたちを送り迎えするときも、頭の中で単語が回ってる状態。高校生のときに、これだけ勉強しとけば東大受かったかもぐらいの後悔です(笑)。


英検1級は無事合格。幼稚園の年長さんだった次男のコウをお膝にのせて、かわいいほっぺをチュッチュしながらノートパソコンを開きました。震える手でIDを入力し、クリックすると・・・。「合格」の大きな文字が!


おっしゃーーーーっっっっっ


と全力で雄叫びです。そのあまりの大きな声にびっくりしたコウが泣き出したぐらい。ごめんごめんと言いながらぎゅーっと喜びのハグ。離れてたユウイチも抱き寄せて泣きながらハグ。お母さんやったよ~っっっ。って。


[トライアルに挑戦する]

そして。2年ではなく1年10ヶ月ぐらいたったとき、あるトライアルを受けてみました。なんとなく、そろそろ大丈夫な気がしたので。英訳です。そちらの翻訳会社さんには英訳は「経験者のみ」と書いてありました。しかしアメリカかぶれ&フリーランススピリットに溢れる私はめげません。自分のブログのURLを引用して、私はこの2年弱毎日8時間ひたすら英語を勉強しました。どうかトライアルだけでも受けさせていただけませんでしょうか?と熱く気持ちのこもったメールでお願いをしました。


ドキドキしながらメールを送信し。翌日、トライアル原稿が送られてきました。つまり試験問題です。この日本語を英語にしてください、というものです。2種類ぐらいあったと思います。300字ぐらい。わりとすぐに終わりました。結構、できた感触はありました。今まで約2年間やってきた勉強は、翻訳に直結する勉強ではなかったけど、英語の総合力をあげるのにとても役だってたのかなとこのとき初めて思いました。


結果は、合格です。またもや、パソコンの前で雄叫び&ガッツポーズ。このあと、こちらの会社さんからは、1度、2度、3度と仕事をいただき、しばらく継続して2年ぐらいお仕事をいただきました。その後も、いくつもトライアルを受け、3勝1敗ぐらいの確率で合格をいただき、徐々に仕事が安定していきました。


[フリーランスの心得]


こうして密度の濃い隠れ浪人生活が無事に終了し、10年近く経ちましたが今でも途切れずフリーランスとしてだいたいいつもお仕事をしています。本当に本当にありがたいことです。今でも、次の仕事が入るたびにほっとします。仕事の内容は、結局、金融系はほとんどなく、IT系が大半です。やはりローカライズ会社での経験やIT系の訳書を出した実績というのが大事みたいです。ただ英訳の割合がとても増えました。トライアルで良い訳文を出すことももちろん大事ですが、その他の要素もかなり大事だと実感しています。

はったりは、アリです。

駆け出しの頃、私の中では常識でした。アメリカのときにもよく言われていたし。翻訳の実績を書くところに、かなり大げさに書きました。2ページの簡単な図ばっかりのマニュアルを訳したときも、そのマニュアル名をしっかり書いて実績の1つにカウント。ABCマニュアルや取扱説明書の英訳も和訳も10個ぐらい羅列しました。ただし、ウソは1つも書いていません。

訳書を出せることになったのも、仕事を獲得できたのも、こういう「はったり」的営業のおかげなのは確実です。「できる」と言っておいて仕事を引き受けても「バレ」なければ良いのです。つまり、「できれば」良いのです。たとえば自動車分野の仕事をやったことがなくても「大丈夫です」と言っておいて、実際に大丈夫な訳を出せば良いのです。ありとあらゆる方法で調べ倒して、経験ある人と同じぐらいの訳を出せれば、それで良いのです。

15 : 49 : 46 | 翻訳者になれた | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
10年後の今
2014 / 04 / 17 ( Thu )
2014年春になりました。

ユウイチは高1。コウは中2です。

ユウイチは、壮絶な中学受験を経て、第1志望の学校で充実した生活を送っています。

地方に住んでて首都圏中学受験用の塾も存在しないのに、首都圏レベルの私立の中高一貫校を受けたのでほんと大変でした。

ユウイチは、絶対に、あそこの学校があってると、小さいときからずっと私は信じていて。

案の定、本人があそこの学校に恋をしてしまったので、2人で頑張りました。

寮に入っているのでなかなか会えないけど、すごくあそこの生活が合ってるみたいです。

コウは、最初からあの学校合ってないよねと思っていたのだけど、案の定、本人も周りも異口同音にNG。

なぜだかサッカーを頑張ってます。

プロを目指すのか?ぐらいの勢いです。

少しだけ見込みがある感じで、ちょっとだけすごいところに選抜されていったりするので母も本人もあきらめがつきません。

ま。かなり個性的な子だし。

こんなに自由な父と母の血を受け継いで自由な父と母に育てられてしまっているので、「ふつうの」道は、ほとんど諦めつつあります。

英語を仕込んでおけば、サッカーだけやってても&プロになれなくても、なんとか食べていけるかな、ぐらいです。

2011年3月を境に、本当にそう思うようになりました。
15 : 33 : 50 | 10年後の今 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
英才教育しました
2014 / 04 / 17 ( Thu )
子どもたちが産まれてから小学校低学年までは、自分が強く信じる英才教育をがっつり実践しました。

1番頑張ったのは外遊びと睡眠時間。

休みの日ともなると、外出しまくり。

雪が降っても雨が降っても。

傘を差して、コートを着て。

雪が降ったときなんか、お尻で滑るのが楽しいらしくて(そりゃ楽しいでしょうよ)、1時間も2時間も遊びまくり。

しかも、高い場所や坂になってるところで遊ぶから目を離せないし。

母(私)は、ずっっっっっと凍えながら、2人が遊ぶのを見張ってました。

夏休みは、毎日、どこかの公園へ。

近所に友達いないし(別の幼稚園だから)。

それにゲーム持ってマンションのリビングにたむろしてる様子がすごくイヤで。あんまり付き合わせたくなかったのもあります。

自転車乗せて、あちこちの公園へ。

こんな公園 に行ったり、あんな公園 に行ったり。ここ も行きました。

そして夜は、きっちり9時には寝かせました。お昼寝してたころは1時から3時まで。

9時に寝かせるために、がんばって外で遊ばせてた感じです。

(詳しくは、2006年の7月8月のブログ参照です)。

絵本は3年間でのべ1000冊読み聞かせしました。

福音館書店の「こどものとも」シリーズは、かなり長く購読してたくさん読みました。

その他、子どもたちが好きだったのは「西遊記」と「十五少年漂流記

最後の方は、どんどん長くぶあつい本になってしまって、1時間ぐらいかかりました。

リクエストしつこいんだもの(^^)

ご飯は基本オーガニック。お野菜いっぱい。ジャンクフードも清涼飲料水もNG。

ワンパターンだけど、栄養のバランスのとれた食事をものすごく気をつけました。

ファストフードはマックじゃなくてモス。というか出かけるときは、おにぎり作っていきました。

鉛筆を持ったお勉強は、ほとんどしませんでした。

3-4歳ぐらいまではシュタイナー教育メソッドにはまっていたので。

テレビもなし。おもちゃもなし。レゴブロックぐらい。

それより、お日様浴びて外で遊んで五感を刺激する方がずーっと大事と信じてました。

おかげで小学校に入学したとき、ユウイチもコウも、ひらがな読めませんでした。

英語は、なんちゃってインター幼稚園に行っていたので毎日ネイティブの先生と接してました。

私は、教えてないです。

国語は、読み聞かせと、低学年ぐらいからは落語のCD。これほんと面白くて。今でも大好きです。

桂文我さんの寄席にも行きました。

理科は、学研の科学シリーズを取り寄せて。

サイエンス系の番組をよく見ました。地球ドラマチックとか。

雨や雪で外遊びできないときは、いつも科学館

実家に帰ったら、テクノミュージアムにもロボットミュージアムにもトヨタの工場見学も行きました。

自然体験学習も、たくさん行きました。


牛やジャガイモの種付け体験

万華鏡作ったり

ブルーベリー摘んだり 。


ダム見学したりEボートに乗ったり


川遊び行ったり


ハゼ釣りに行ったり

稲刈りに行ったり

種の植え付けもしたし

種まきのついでに椎茸植えたときもあったし

山菜採りして生き物観察もしたし


脱穀体験もしたし

稲刈りは2回したし

田植えもしたし

田植えは2回したし

作った米で餅つきもしたし

しめ縄作って餅つきしたこともあったし

地引き網もしました

地引き網のところは、今では津波で跡形もなくなってるのがすごくつらいです。楽しかったのに・・・

ほんとに、がっつり「英才教育」しました。

ちなみに、こういうの全部わたしが自分で調べて見つけてきたやつです。

ダンナさんは、いっさい関わってません。

ぜんぶ私1人で子どもたち2人を連れ回してました。

楽しかったな~。


そして、無事に隠れ浪人が終了して在宅翻訳者として、だいたいやっていけそうになったとき、プチ親子留学しました。

ダンナさんと私が学生時代を過ごしたミシガンに里帰り。

現地の小学校に1日体験入学させてもらいました。

ユウイチが小4でコウが小2のときです。

yuAnn.jpg

kohann.jpg

一軒家を借りて1週間過ごしました

コウが小6のときは、サッカーのプチ留学もしました。

白人やコクジンばっかり120人以上の中でアジア人はコウ1人。

その中で毎日朝8時から夕方5時までサッカー三昧。

すごく楽しかったみたい。

kohBoston.jpg

こういうことができるのも、やっぱりがんばって翻訳者になれたおかげだと思います。
15 : 19 : 14 | 血中母性濃度80%で英才教育 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
でもやっぱり隠れ浪人
2014 / 04 / 17 ( Thu )
そんなこんなで楽しく過ごしていましたが。心の隅で、遊んでばっかりいて良いんだろうか、という声が聞こえてきます。せっかく、ここまでやってきたのに。英語使える人になってきたのに。あと少しで英語ちゃんとなりそうなのに。もったいないじゃん。韓流主婦楽しいけど。ピアノも並行して再開してて上原ひろみちゃんのトム&ジェリーとかをコピーできるようにもなってたけど。でも。子どもたちがそれぞれ小学校と幼稚園に行ってしまったあと、家で1人。ふと我に返ると、自分の中途半端すぎる人生がイヤになってきました。


大学受験に失敗し→開き直ってアナウンサー目指すもダンナさんに会った途端、あっさり戦意喪失し→英語がんばって米国生活も頑張ったけど、英語ぺらぺらになる前に帰国してしまい→東京のベンチャーで一旗揚げよう(死語?)と思ったけど、あっという間に潰れてしまって→と同時にダンナさんの仙台転勤が決まって妊娠・出産→フリーランス翻訳始めて見るもITバブルはじけた途端ダメになり→近くのソフトのローカライズ会社で正社員になれたのに→英語要員で就職したのに子ども小さくて通訳出張もできずイマイチ存在理由不明で→会社勤めも自爆して家で韓流三昧・・・


どうせ頑張るならとことん頑張ればいいのに、なんだか全部あと一歩でダメになってる。もちろんダンナさんの仕事の都合っていうのが第1の理由で子どもの出産・子育てが第2の理由だけど。配偶者は主人じゃなくてパートナーなんだから、家事育児も折半すれば会社勤めも続けられたかもしれない。でも。私たちがお互いそれぞれ留学してきて米国で知り合ったとかなら対等だけど。受験に失敗していじけてた私が人生リセットできたのはダンナさんが米国連れて行ってくれたから。それに。どんなに米国で頑張ってきたのかそばで見てたし。東京でも仙台でも生き生きと働いてる姿を見てるとかっこいいと思ってしまう。否定しようとしても、やっぱりオトコの人は仕事頑張ってる姿がかっこいい。だから邪魔したくない。でも。でも。私だって頑張りたい・・・。


あんなに母がダイキライだったのに。やっぱり仕事してる母の背中は、かっこよかったのです。自分のデフォルト(基準)は自分の母なのです。じゃ。どうすれば良いっていうの?ダンナさんの邪魔はしたくない。子どもたちには基本オーガニックの料理を食べさせたい。出来合いの料理はイヤ。毎日9時に寝かせたい。テレビやゲーム三昧はイヤ。土曜も日曜も外でがっつり遊ばせたい。勉強は、まだいいけど。そうなると。妥協できないことが多すぎて普通の会社勤めはダメそうです。第一、ダンナさんがまた転勤になる可能性もとても高かったので身動き自由にしておかないといけません。


その頃、CPAという資格をとるのが流行っていました。米国の公認会計士です。難関なだけに取れば大丈夫かな、と資料を取り寄せ、かなり真剣に考えてみました。でも。通信教育で良いけれど会計の大学の単位を揃えないといけないのでそれで1年と100万円かかり、しかもとっても日本での仕事はできない。米国の各州に登録しないといけないということで止めにしました。普通に新卒からのお給料で下積みから開始というのは会社勤めが必要ってわけなので。MBAにしようか、いっそのこと弁護士の資格をとろうか、子連れで米国留学しちゃおうか、とか、いろいろ、いろいろ考えました。もう35歳になっていたので、投資ばっかりじゃなくてリターンが得られるまでの時間も考えないといけません。たくさん勉強するだけ、というのは苦にならないし家でできるので問題ありません。で、何を勉強するのが一番良いのか。今まで自分がやってきたこと、組織に向かない自分の性格、地方に住んでること、ダンナさんの転勤の可能性、そして子どもたちの負荷を最小限にする職業を全部満たすものを考えていくと・・・


そっか。英語をたくさん勉強してA級レベルの翻訳者になるのが、最もローリスク&ハイリターンだ。


そうたどり着きました。結局、私には翻訳しかないみたい。ITバブルがはじけたとき。もう翻訳はイヤだ懲り懲りだ二度としたくない、と思って会社に入ったのに。こんな思いして徹夜して納品しても、来週仕事があるかどうか分からない。クライアントさんから品質にクレームがつくんじゃないかといつもおびえてる。メールで納品するとき、送信をクリックした後、しばらく手が震える。心臓のドキドキが止まらない。5分で返事が来ないと不安になる。マニュアルの和訳も最初は売り手市場だったけど、1-2年のうちに翻訳者も増えてきて、あっという間に単価が下がり、さらにバブルがはじけて仕事そのものがなくなり。週に2本3本と抱えてた仕事が2週間に1本とかのペースになっていく。その間、仕事が来るんじゃないかとメールを5分おきにチェックするけど、全然来ない。全部自分の実力が足りないせい。そんなときでも、A級の翻訳者さんたちには、きちんとお仕事がきてた。私は、もうダメだ。だいたい翻訳って好きじゃないし。家にずっといるの性に合ってないし。


と、グーグルで仕事を探していたら、家の近所にソフトウェアのローカライズの会社が見つかったのです。だけど、それすら続かない私。でも、ぐるぐる考えても&やっぱりどう考えても、今の私でベストな選択肢は翻訳しかない。


じゃあ。腹をくくろう。20代の身軽だった自分とは、もう違う。私には後が無い。翻訳しかないんだ。

[がっつり浪人生活]


そうとなったら、やります。もうとことん。ユウイチ小1でコウが年中さんだったときから2年間。本当に毎日勉強しました。朝5時半に起きて1時間勉強。朝ご飯を食べさせて家族を送り出したら、早速勉強。15時頃に帰ってくるまで、お皿も洗いません。夕方、帰ってきたら、外に遊びに連れ出します。英語やピアノやサッカーの習い事もあります。お夕飯の後、レゴブロックを片付けて、お風呂に入れたら読み聞かせの時間。3年間で1000冊は読んだかも。すり寄ってくる子どもたちがほんとかわいくてかわいくて。一緒に寝そうになるけど。21時に寝たら、また私の時間23時近くまでお勉強です。土日や夏休み冬休みは、午前中は部屋の中で遊ばせて私は隣でお勉強。お昼ご飯を食べたら3人で山へお出かけ。公園にもお出かけ。雨が降っても雪が降っても風が吹いても、ひたすら外遊び。3歳ぐらいまではシュタイナーにはまっていたので、おもちゃもテレビもなく、幼稚園の頃はお勉強も、させませんでした。お絵かきしない子たちだったので、鉛筆持ったのは小学校入ってから。ジマンですが、2人ともひらがな読めない状態で小学校に入学しました。


じゃ私は何をそんなに勉強していたのか。毎日7-8時間ひたすら英語でした。和訳&コンピュータ関係は、もっとも薄利多売で新規参入が多い分野。つまり翻訳初心者でも入りやすい分野。じゃ。逆は?そりゃ英訳でしょう。英語を書ける人になれば、だいたい大丈夫なはず。弁護士に受かるぐらいの気合いで英語を読みまくって書きまくればいいだけ。翻訳には才能は必要ありません。たくさん勉強するだけ。ただの時間の問題。じゃ、どの分野?たくさん英語を書く機会が多そうな分野は・・・金融だ。じゃ、金融にしよう。金融の英訳者を目指そう。以前、雑誌のインタビューである通訳者の方が2年必死に頑張ればものになる、とおっしゃってたのを思い出して、自分にも2年という期限を決めました。
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